いつか会おう!ふるさとでの再会を誓った希望の歌~群青
私たちの知らない「群青」誕生の秘話がここに!
東日本大震災以降、いわゆる「復興支援ソング」が数々誕生する中、被災者側からの「メッセージソング」として生まれ、多くの人々を感動の渦に巻き込んだ合唱曲「群青」。この作品はどのようなきっかけで生まれたのか…。
レコーディングディレクターとして音楽プロデューサーとして合唱の世界にも明るい著者が、「群青」を発案し作曲した小田美樹、初演をした子どもたちをはじめ、「群青」の周縁でその誕生と成長のプロセスを見守った人々への取材を敢行、「群青」のすべてを明らかにする感動のノンフィクションです。
・巻頭言 真実のうた『群青』 本山秀毅 |
・『群青』歌詞 |
・プロローグ 芹沢功太の証言 |
・第一章 小田美樹の回想 一 |
・エレミヤの哀歌 本山秀毅のフェイスブック |
・第二章 小田美樹の回想 二 |
・証言 中島鈴奈 |
・小田先生という生き方 本山秀毅のフェイスブック |
・第三章 小田美樹の回想 三 |
・第四章 小田美樹の回想 四 |
・証言 島尾清助 |
・「群青の子ら」の夏 本山秀毅のフェイスブック |
・第五章 小田美樹の回想 五 |
・証言 齋藤舞子 |
・第六章 「群青の子ら」との旅はこれからも 小田美樹 |
・エピローグ 小田美樹と「群青の子ら」が伝えたもの 坂元勇仁 |
このたび、この『群青』の誕生から現在に至る経緯が、坂元勇仁氏のきめ細かな仕事と並々ならぬ尽力によって、世に送り出されることになった。
一連の流れは、どのようなドキュメンタリー番組を見るより鮮烈で、映像を見るように、また読者がその場所と時間に居合わせるような錯覚に陥らせるほど、臨場感溢れるものである。
そして何より、この得難い作品を生み出した小田美樹先生の生き方に大きな共感を覚えるものである。読後には、先生の生み出す直截的なエネルギーはもとより、「音楽」の持つ本来の意義、それを「教え」「伝える」ということ、そしてそれらの役割と大きな可能性について幾多の気づきを得るだろう。
本山秀毅 (本文・巻頭言 真実のうた『群青』より抜粋)
明日も会えるのかな? 群青 3.11が結んだ絆の歌坂元 勇仁 出版社:パナムジカ パナムジカコード:SYPM04
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山野楽器銀座本店 ヤマハ銀座店 ヤマハ池袋店
JEUGIA 紀伊國屋書店 ジュンク堂書店 丸善 フタバ図書
蔦屋書店 喜久屋書店 啓文社(各本店・全国各支店)他
その他全国楽器店・書店でもお取り扱い致しております。
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坂元勇仁(さかもと・ゆうじ)
レコーディング・ディレクター。1961年、鹿児島市生まれ。
学習院大学文学部哲学科及び同大学院人文科学研究科博士前期課程哲学専攻修了。日本現代音楽協会創立60周年記念「東京現代音楽祭」アシスタント・プロデューサー、ビクターエンタテインメント株式会社ディレクターを経て、2005年に有限会社ユージンプランニングを設立し現在に到る。
主な制作作品として『原典による 近代唱歌集成 誕生・変遷・伝播』『アジアの音楽と文化』(ともにビクターエンタテインメント)などがある。また、ディレクターを担当した『漆原啓子&漆原朝子 無伴奏ヴァイオリン・デュオ』(日本アコースティックレコーズ)が平成26年度文化庁芸術祭レコード部門優秀賞を受賞した。共著に『はじめてのインターンシップ仕事について考えはじめたあなたへ』(アルテスパブリッシング)がある。
現在、有限会社ユージンプランニング 代表取締役、音職ドットコム有限責任事業組合代表組合員、大阪芸術大学客員教授を務めている。
青の三部作―群青・青の絆・青の軌跡 オリジナル版楽譜集―小田 美樹 出版社:パナムジカ パナムジカコード:GZPM01A
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「群青」オリジナル版の楽譜に加え、「青の三部作」と呼ばれる「青の絆」「青の軌跡」の楽譜も合わせて収めた完全版。
作詞:福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生(構成・小田 美樹) 作曲:小田 美樹 |
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「群青」をオーケストラ伴奏・吹奏楽伴奏・弦楽+ピアノ伴奏で演奏しませんか?
スコア&パート譜は、弊社よりレンタル楽譜にてご提供いたします。 詳細はメールまたはお電話にてお問い合わせください。 メール:office@panamusica.co.jp TEL:075-955-8762 |
福島第一原子力発電所から半径20km圏内に位置する福島県南相馬市小高(おだか)区は、東日本大震災による原発事故のため全住民が今なお避難生活を余儀なくされており、小高中学校も市内の別の学校に間借りをして授業を行っています。「群青」は、その小高中学校の生徒たちが、離ればなれになってしまった仲間を思って、つぶやいたり、書き留めた言葉の数々を同校の小田美樹教諭が綴って曲をつけた作品です。
2013年3月に行われた復興支援コンサート「Harmony for JAPAN 2013」で同校合唱部によって演奏され、 会場に大きな感動を呼び起こしました。その「群青」が、やはりそのコンサートに居合わせて曲に感銘をうけた作曲家・信長貴富氏の編曲を得て 3種の合唱編曲版となりました。子どもたちのこれ以上ない正直な気持ちと、 彼らを一番近くで見守り共に歩んできた小田先生が作り出した音楽が放つ強いメッセージは、私たちの心に深く突き刺さります。
どうぞ皆さん歌ってください!ご自分の中にある大切な友やふるさとを思いながら…
そして「群青の子」らがいつの日か「群青の町」で再会する日を願いながら…。
2013年3月に行われた復興支援コンサート「Harmony for JAPAN 2013」で同校合唱部によって演奏され、 会場に大きな感動を呼び起こしました。その「群青」が、やはりそのコンサートに居合わせて曲に感銘をうけた作曲家・信長貴富氏の編曲を得て 3種の合唱編曲版となりました。子どもたちのこれ以上ない正直な気持ちと、 彼らを一番近くで見守り共に歩んできた小田先生が作り出した音楽が放つ強いメッセージは、私たちの心に深く突き刺さります。
どうぞ皆さん歌ってください!ご自分の中にある大切な友やふるさとを思いながら…
そして「群青の子」らがいつの日か「群青の町」で再会する日を願いながら…。
小高中学(Harmony for JAPAN 2013)
JASRAC承諾番号:M1406133103
小高中学校のある福島県南相馬市小高区は、福島県の東端、浜通りと呼ばれる地域にあります。福島第一原子力発電所の北、半径20km圏内に全域が入り住民全員が今なお避難生活を送っています。
平成24年度の卒業生は東日本大震災当時の1年生でした。106名いた学年の生徒のうち2名が震災時の津波の犠牲となり、97名がその後の原発事故による避難のため、北は北海道、南は長崎まで散り散りとなりました。4月22日にやっと市内の中学校を間借りして学校を再開したときには学年の生徒はたったの7名となっていました。
ある日、誰がどこにいるのかを確かめながら仲間の顔写真を大きな日本地図に貼り付けていると、生徒たちは口々に「遠いね」「どうやったら行けるの?」「でも、この地図の上の空はつながってるね」などの気持ちを述べました。その日から、「群青」の詩の核となる生徒たちの日々のつぶやきを綴る毎日が始まりました。
小高区は「紅梅の里」と呼ばれており、小高中学校はその紅梅の色をイメージした「エンジ色」がスクールカラーとなっています。しかし校歌に「浪群青に躍るとき」という一節があることから、文化祭は「群青祭」という名称であり、野球チームも「小高群青クラブ」と名付けられています。「群青」とは本校に関わる誰もが自分たちの色と感じている色の名前であり、私たちの絆そのものです。
「群青の子ら」は「群青の町」で再び集う日を思い描き今日もどこかで同じ空を見上げて頑張っているはずです。そして、そう思い続けることが私がここで今日を生きる力ともなっています。いつかあの美しい小高で「群青の子ら」と再会できる日を信じています。
最後になりましたが、私たちの思いをこのように形にしてくださった本山秀毅先生、信長貴富先生、Harmony for Japanの皆様、そして私と本山先生をつないでくださった紅林美枝さんに心から感謝申し上げます。
平成24年度の卒業生は東日本大震災当時の1年生でした。106名いた学年の生徒のうち2名が震災時の津波の犠牲となり、97名がその後の原発事故による避難のため、北は北海道、南は長崎まで散り散りとなりました。4月22日にやっと市内の中学校を間借りして学校を再開したときには学年の生徒はたったの7名となっていました。
ある日、誰がどこにいるのかを確かめながら仲間の顔写真を大きな日本地図に貼り付けていると、生徒たちは口々に「遠いね」「どうやったら行けるの?」「でも、この地図の上の空はつながってるね」などの気持ちを述べました。その日から、「群青」の詩の核となる生徒たちの日々のつぶやきを綴る毎日が始まりました。
小高区は「紅梅の里」と呼ばれており、小高中学校はその紅梅の色をイメージした「エンジ色」がスクールカラーとなっています。しかし校歌に「浪群青に躍るとき」という一節があることから、文化祭は「群青祭」という名称であり、野球チームも「小高群青クラブ」と名付けられています。「群青」とは本校に関わる誰もが自分たちの色と感じている色の名前であり、私たちの絆そのものです。
「群青の子ら」は「群青の町」で再び集う日を思い描き今日もどこかで同じ空を見上げて頑張っているはずです。そして、そう思い続けることが私がここで今日を生きる力ともなっています。いつかあの美しい小高で「群青の子ら」と再会できる日を信じています。
最後になりましたが、私たちの思いをこのように形にしてくださった本山秀毅先生、信長貴富先生、Harmony for Japanの皆様、そして私と本山先生をつないでくださった紅林美枝さんに心から感謝申し上げます。
平成25年7月18日
福島県南相馬市立小高中学校 教諭 小田美樹
福島県南相馬市立小高中学校 教諭 小田美樹
Harmony for JAPAN 2013 ハートフルコンサートで福島県南相馬市立小高中学校の生徒さんが歌う「群青」を聞いた。私はそのコンサートに同席していたご縁から編曲を担当することになったが、編曲を必要としないくらいに彼らの歌う「群青」は充分に魅力的なものだった。手を加えることで彼らの絆に割り込んでしまうのではないかという躊躇もあったが、この歌を多くの人に知って欲しいという本山秀毅先生やパナムジカの皆さんの熱意に動かされ、お引き受けした次第である。メロディやコード進行、調の選択や転調の在り方などは原曲譜をほぼそのまま踏襲している。
同声二部、混声三部、混声四部の3バージョンを用意したが、もともと単旋律だけでも充分に成立する曲なので、例えばサビの部分だけハモり、その他の部分はユニゾンで歌うなどのように、歌い手の状況に合わせて臨機応変に対応していただいて構わない。曲の部分カットについても同様である。
同声二部、混声三部、混声四部の3バージョンを用意したが、もともと単旋律だけでも充分に成立する曲なので、例えばサビの部分だけハモり、その他の部分はユニゾンで歌うなどのように、歌い手の状況に合わせて臨機応変に対応していただいて構わない。曲の部分カットについても同様である。
信長貴富
原発事故のもたらしたものは、言うまでもなくほぼ全てがネガティヴなものである。しかしその困難を乗り越えていく活力に出会うと、いっそう貴く光輝いて見えることがある。
私が初めて小高中学校の合唱に出会ったのは、福島県合唱コンクールで彼らが歌う「エレミヤの哀歌」であった。故郷を破壊された哀しみや怒りを激しく歌いあげる彼らに、心が震えた。多くの人の思いと縁が繋がって、震災復興を願う合唱のコンサートに彼らを招くことが実現した。彼らのプログラムは、前述の「エレミヤの哀歌」に加えてNコン課題曲「fight!」、そしてこの3年生のクラス合唱を一心同体に育んでこられた小田美樹先生が遠慮がちに「もう1曲歌ってもよろしいでしょうか?」と尋ねてこられた結果、披露された「群青」その曲であったのである。
これらの曲を渾身の力を込めて歌う彼らの演奏に、会場は目頭を押さえる人やすすり泣く声が響くほどの大きな感動の渦に包まれた。卒業式を数日後に控えて歌う生徒らの、このメンバーによる一生忘れることの出来ないまさに最後の合唱だった。卒業後は自分の意思とは別に故郷を離れる生徒もいる。理不尽な別離もそこにはあったのだ。
歌詞も配布していない会場だったが、特に「群青」のメッセージはその旋律と共に多くの人の心に沁み入った。反響は想像を超えるもので、多くの人から問い合わせを受けた。そして自作の管弦楽版演奏に居合わせておられた信長貴富氏をして、アレンジを申し出させるエネルギーをこの音楽と歌詞は持っていた。
この曲は決して単なる卒業ソングではない。別れを告げることも、再会を誓うことも出来ないままそれきりになった友たちへの心からのエールである。故郷と友、そしてそこで過ごした時間に思いを寄せる「真実のうた」である。真実の中から生み出された言葉と音楽は、どのような創作にも勝り、高い純度を持っている。
出会いが新たな出会いに繋がり、真実から生み出された音楽が一つの形を得て、世に送り出されることになった。私が今までに出会った曲の中でも、この曲ほど思いの詰まったものはない。歌詞を共同で創作して卒業していった当時の3年生たち、それを大きな包容力で包み込むような温かい音楽を付した小田先生、そして 心意気からアレンジを申し出て下さった信長氏、全ての皆さんに敬意を表するものである。
「真実のうた「群青」」多くの人たちに歌って欲しい歌の誕生である。
私が初めて小高中学校の合唱に出会ったのは、福島県合唱コンクールで彼らが歌う「エレミヤの哀歌」であった。故郷を破壊された哀しみや怒りを激しく歌いあげる彼らに、心が震えた。多くの人の思いと縁が繋がって、震災復興を願う合唱のコンサートに彼らを招くことが実現した。彼らのプログラムは、前述の「エレミヤの哀歌」に加えてNコン課題曲「fight!」、そしてこの3年生のクラス合唱を一心同体に育んでこられた小田美樹先生が遠慮がちに「もう1曲歌ってもよろしいでしょうか?」と尋ねてこられた結果、披露された「群青」その曲であったのである。
これらの曲を渾身の力を込めて歌う彼らの演奏に、会場は目頭を押さえる人やすすり泣く声が響くほどの大きな感動の渦に包まれた。卒業式を数日後に控えて歌う生徒らの、このメンバーによる一生忘れることの出来ないまさに最後の合唱だった。卒業後は自分の意思とは別に故郷を離れる生徒もいる。理不尽な別離もそこにはあったのだ。
歌詞も配布していない会場だったが、特に「群青」のメッセージはその旋律と共に多くの人の心に沁み入った。反響は想像を超えるもので、多くの人から問い合わせを受けた。そして自作の管弦楽版演奏に居合わせておられた信長貴富氏をして、アレンジを申し出させるエネルギーをこの音楽と歌詞は持っていた。
この曲は決して単なる卒業ソングではない。別れを告げることも、再会を誓うことも出来ないままそれきりになった友たちへの心からのエールである。故郷と友、そしてそこで過ごした時間に思いを寄せる「真実のうた」である。真実の中から生み出された言葉と音楽は、どのような創作にも勝り、高い純度を持っている。
出会いが新たな出会いに繋がり、真実から生み出された音楽が一つの形を得て、世に送り出されることになった。私が今までに出会った曲の中でも、この曲ほど思いの詰まったものはない。歌詞を共同で創作して卒業していった当時の3年生たち、それを大きな包容力で包み込むような温かい音楽を付した小田先生、そして 心意気からアレンジを申し出て下さった信長氏、全ての皆さんに敬意を表するものである。
「真実のうた「群青」」多くの人たちに歌って欲しい歌の誕生である。
本山秀毅
作詞:福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生(構成・小田 美樹) 作曲:小田 美樹 |